◆サモアの想いで◆
学校のファレでみんなお昼ね

第2回 人がやさしくなるには、マロロが大事

 ここはサモアで暮らしたころ、毎日通った小学校の集会所だ。朝7時50分、教室に子どもたちを送り届けた後、母親たちはおしゃべりを楽しみながら、学校が終わるまで半日待つ。10時半からはじまる30分のお昼休みには、親子そろってここでお弁当を食べる。

 サモアで暮らすことになり、友人宅で最初のお昼ご飯をご馳走になった後、「はいどうぞ」と枕をわたされた。友人はポカンっとしている私に、疲れたら休む、お腹がいっぱいになったら、横になるのがサモア流だと説明してくれた。

 突然そう言われても、それまでの私には、長年日本で培われた「怠けることは悪いこと」という価値観がしっかり身についていた。休むという行為は、さぼると同義語のような後ろめたい気持さえあった。ましてや、人前で真昼間から寝るという行為には、気がとがめずにはいられない。

 そんな気持ちは、ここでサモアンママたちと過ごすうちに払拭された。ランチタイムを終えると、母親たちは一斉に“マロロ(malolo)”と呼ぶ休憩タイムに突入。“圧巻!”の集団昼寝だ。

 太陽がギンギンと照りつける南の島の午後は確かに気だるい。心と体を健康に保つためには、休むことに“後ろめたさ”なんて感じる必要はなく、それは、生きるためになくてはならないひとときなのだろう。ゆったり、おおらか、のんびり、フレンドリーなどの形容がぴったりのサモアンが、そうありつづけるためには、疲れていてはいけないというのも頷ける。

 固い床で平気で横になる彼女たちに、「背中、痛くない?」とたずねると、「だからサモアンには肉ぶとんがついているのさ、ワッハッハ!」と巨体をゆすりながら答えた。「ここでマロロするにはヤホイも、もっと体にふとんをつけなきゃ!」と冗談を言いながら、お弁当を交換しては、食べた日々が懐かしい。

 この輪に入って、風を感じながらマロロをする心地よさを知って以来、“休息をとること”は私の毎日の暮らしの中で、今も大事にしていることのひとつとなった。

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