| 1997年4月の1日だった。「しばらくサモアに引っ越すぞ」。夫は子供たちに南太平洋の小さな国サモアへ引っ越すことを伝えた。エイプリールフールだけに子供たちが半信半疑なのも無理はない。
1995年の夏、我が家は家族旅行でサモアを訪れた。我々夫婦はその時すっかり、南の島のヒューマニティー溢れる彼らののんびりとしたライフスタイルに魅せられてしまった。 「いつかこんなふうに暮らすのもいいね」「こんなところで子供をのびのびと育ててみたいね」と遠い先の夢として夫婦で語り合った。それからたったの2年しか過ぎていない。 子供たちはこれから立ち向かう異文化や言葉の壁を危惧する様子もなくまるで旅行気分で「お引越し」の準備をした。どのくらいの期間になるのかは暮らしてみないとわからない。この我が家の突然の無計画な「南の島移住」は理性のある日本人にはひたすら非常識に映ったことだろう。 |
とにかく、有り金を持って南の島で暮らすのだ。「忙しい日本の暮らしを中断してしばらくのんびりしてみるのもいいかもしれない」。こんな軽い気持ちで憧れの南国ライフに踏みきった。 想像以上のカルチャーギャップにあたふたしながらも想像通りのヒューマニティーに助けられ、のんびりしているうちに4年が経った。 そして2001年のエイプリールフール。 すっかり慣れたサモアの家で夫がまたもや重大発表。 夫 「身近に自然動物がいて『ア』で始まって『カ』で終わるところに引っ越すぞ。」 子 「えっ〜!! アフリカ? アラスカ? アメリカ?」 普通の家庭なら絶対に冗談としか思えないことが起こる我が家なのである。今年初めてアメリカで迎えたエイプリールフールは何事もなく過ぎて子供たちはきっと胸をなでおろしていることだろう。 日本脱出当時12歳の長女は17歳に、10歳の息子は14歳、8歳の息子は13歳、そして5歳だった末っ子は今年アメリカで10歳を迎えた。 |