「サモアで暮らす」 鳩山幹雄

11.家事に精出す子供たち


青バナナの皮をはぐ子供
青バナナの皮をはぐ子供

 サモアの子供たちは皆働きものだ。幼いうちはどの子もヤンチャに過ごすが、八、九歳にもなると、男女を問わず親の期待は一気にふくらむ。畑の手入れ、草刈り、ヤシの実や青バナナにパンの実などの皮はぎ、 薪割り、ココナツ削り、料理に食器洗い、洗濯に掃除……と、子供とはいえその仕事内容は種々雑多だ。 食事中に、手にしたウチワをあおいで、ハエの大群を追い払うのも子供の役割なら砂糖を買いに店へ走るのも子供である。

 冷蔵庫の真横でデンといすに腰掛けて動こうとしない親の、「水」という一言で、冷蔵庫から冷えた水を取り出しコップに注ぎ、伸ばす親の手に渡すのもまた、子供の仕事である。遊んでいても勉強中でも「○○、サウ(来い)」という親の一言で、子供は手を休めて親の元へ歩み寄り、指示に従う。

 「肩をたたけ」「タバコを買って来い」「紅茶を入れろ」……と、日に幾度もその時々の命令に従う。 だが、鼻歌を口ずさみながらココナツを削り、バナナの皮をはぐ子供たちに、苦悩の表情は見受けられない。 子の義務と悟っているのだろうか。そういえば、日本も子が親を手伝うのは当たり前だったと、子供のころを思い出す。

 子供の仕事分担は家庭内にとどまらない。路上で野菜や果実、魚介類などを、売りきれるまで黙々と店番をしなければならない子供には、笑みを浮かべ鼻歌を歌うまでのゆとりはないようだ。また群衆の行き交うアピアの街角でココナツなどを売り歩く子供たちの顔にもさすがに笑みは見られない。ある時は街角の軒下で、またある時はいくつものココナツのはいった重たいカゴをぶらさげ、十中八九断られるのを承知の上で、 停車中の車へ歩み寄り、「ココナツはいりませんか?」と声をかける。

 先日も買い物途中の街角で、大きなカゴを提げた十歳くらいの男の子が、どうせ無理だろうけど、といった暗い顔つきで歩み寄り「ココナツはいりませんか」と問いかけた。「じゃあ一つ」と返事した妻を見上げたその顔は満面の笑みを浮かべた。

 「あの時のあの子の笑顔は本当にうれしそうだった」

 と同じ場所を通るたびに妻が口にする。多分あの子は今日もまた、街のどこかで「ココナツはいりませんか」と声をかけていることだろう。


朝日新聞中部地方版より転載
home:::index::: next