「サモアで暮らす」 鳩山幹雄

12.パラギ文明といかに調和


ファーストフードの店はサモアにも進出している
ファーストフードの店はサモアにも進出している

 白人のことをサモアで「パラギ」という。「パパラギ」の口語表現で語源は「空を破って現れた人」。 二百年ほど前、渡米したヨーロッパ人の船は、遥か彼方の水平線に接する空を突き破って現れたようにでも見えたのだろうか以来キリスト教をはじめ様々な西欧文明がサモアへ伝えられた。

 欧米諸国とサモアとは以後複雑に絡み合い「パラギ」という語は数多くのニュアンスを含むようになった。 サモアの人々がパラギに対して非好意的というわけではないが、不快感を抱くものもいる。優位な社会的立場と恵まれた経済力とにより、洗濯機さえも高根の花というサモアで、電子レンジにエアコン完備の高級住宅で贅沢三昧の暮らしを送るパラギが多いのだから、それも仕方がない。

 せめて片言のサモア語を解し、もう少しサモアの生活様式になじむよう努力するなら「パラギ」が「近代文明に毒された」 「自己中心的な」といった否定的意味合いを含むことはないだろう。だが焦がれてサモアに暮らす者ばかりではないのだから、そこまで望むこともまた無理がある。

 それにサモアの伝統的生活様式は、文明に保護されて育ったパラギにはいささか過酷すぎ、たやすくなじめるものではない。無理すれば瞬く間に病に倒れてしまう。その意味では殺菌だ抗菌だと保険衛生に 過敏になりすぎて軟弱になってしまったサパニ(日本人)も無論同類である。現代社会は、便利と快適を求めたがために、尊い犠牲を払わなければならなかったようだ。パラギへの不快感は、贅沢な暮らしがしたくてもできないことによる単なる嫉妬心だけでもなく、近代文明を全面的に受け入れることで大切な何かが失われてしまうことへの危機感かもしれない。

 サモアの人々がみな現代社会の歪みに対してそれほど敏感かどうかはさておき、近代文明に溺れることなく伝統的生活様式を維持していることと、文明社会に疑問を抱く人々が感じるサモアの魅力とは関連があるに違いない。

 ニュージーランドなどの先進国で何十年も快適な文明生活を送ったサモア人が、不便を承知でサモアへ舞い戻るのも、母国の魅力を再認識するからだろう。パラギ文明は容赦なく侵入し続ける。今後いかにしてバランスを保つか難題に違いない。


朝日新聞中部地方版より転載
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