「サモアで暮らす」 鳩山幹雄

3.「宝島」の英作家しのぶ


しょうしゃなたたずまいのスチーブンソン博物館
しょうしゃなたたずまいのスチーブンソン博物館

 サモア唯一の博物館へ行ってきた。我家から車で五分足らずのところにあるロバート・ルイス・スチーブンソン博物館だ。スチーブンソンといえば「宝島」や「ジキル博士とハイド氏」で 世界的に知られる作家だ。 フランス人画家のゴーギャンがタヒチで暮らした事実ほどには知られていないが、スコットランド人のスチーブンソンは晩年を同じ南太平洋のサモアで暮らした。

 スチーブンソンは、「宝島」などを著した後、地上の楽園を探し求めて南の島を渡り歩き、1889年にサモアに落ちついた。アビア湾から内陸へ4、5、キロの高台に住まいを構え、94年に43歳の生涯を終えた。彼の住まいは、1962年のサモア独立後、国家元首の公邸に用いられた。90年と91年の台風で被害を被り、修復後、博物館として一般に公開された。

 野球場がすっぽりと収まるほどの敷地の中央にデンと構える。おもしろいことに、1階の部屋と2階の書斎に暖炉が設けてあった。暖炉など、この常夏の国には必要ない。係員の説明によると祖国の雰囲気をつくり出すための演出だったらしい。

 サモアに暮らしてからの彼の著書について係員に尋ねた。サモアは果たして文筆に適した地なのか、という素朴な疑問だ。係員は「キャトリオナ」といった小説や、サモアを語った「バイリマ・レターズ」 など、いくつかの著書があると教えてくれた。それらの作品も棚に並んでいた。彼のサモアでの作品は、 よほどの読書家でも知らないのではないだろうか。

 それにしても、2階のベランダから見下ろす眺めはすばらしかった。かなたに南太平洋の水平線が広がる。スチーブンソンは、ロッキングチェアにでも腰を下ろし、海風に身を任せたのだろう。博物館も、そこに飾られた当時の写真の数々も、残念ながら彼が、サモアの伝統的生活様式に引かれてこの地に暮らそうと決意したようには語りかけてこない。

 靴もシャツも脱ぎ捨て、サモアの人たちと共にあぐらをかくスチーブンソンを思い浮かべたかったぼくとしては少々がっかりだが、南の島サモアで「宝島」を読み返すのはわるくはない。


朝日新聞中部地方版より転載
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