「サモアで暮らす」 鳩山幹雄

7.島に眠った遠来の画家


多くの人々に見守られて、棺は墓地に埋葬された
多くの人々に見守られて、棺は墓地に埋葬された

 先日葬儀に出席した。隣人のアンジェ口が亡くなったのだ。首都アピアに暮らすようになってから、サモア在住の外国人とも多く出会うようになった。チリの女性と結婚しサモアに暮らして三年というスイス人、 一人で老後を過ごすドイツ人建築家、流ちょうに大阪弁を操るバングラディッシュ人親子……。

 イタリア人画家のアンジェ口も、 そんな外国人の一人だった。彼ほ三年ほど前からサモアに暮らすようになったらしい。普段は人口数百人のマノノ島で暮らしていたが、一年のうち何ヵ月間かは所用でアピアに滞任した。その住まいが我が家の近くにあった。

 白髪の頭をわずかに前に突き出した姿勢や、のんびりとした イタりア語なまりの英語はどことなくユーモアがあった。二ヵ月ほど前もアピアにいたが、近代文明とほ無縁のマノノ島での生活が非常に気に入っているらしく、「早く帰りたい」と話していた。

 アンジェ口に家を貸しているだけなのに、ポロマが葬儀を取り計らった。アンジェロの娘がイタリアから駆けつけるのを待ち、教会で葬儀が執り行われた。雨期の真っ最中だが、空は晴れ渡った。ひつぎは近くの墓地に埋葬された。一人の肉親、数人の白人、数十人のサモア人、我が一家に来訪中だった妻の両親を加えた八人の日本人、そして輝く太陽が見守った。

 ポロマがアンジェ口の最期を紹介した。金曜日、夜中の二時ごろまで島民と陽気に踊り、土曜の朝、昏睡状態に陥った。そのまま二日後、病院で息をひきとった。六十五歳だった。

 「彼は永住権の申請をしたところだったが、これで永久にサモアにとどまることができる。本人も希望が叶い、ハッピーに違いない」

 「永住」ならぬ「永眠」という結末ながらも、アンジェロは満足だろう。

 彼の娘さんが語った。

 「どうして父がサモアを気に入ったかわかりました。 サモア人の歓待を受け父は幸せものです」

 なんでもビジネスライクに扱うことに慣らされた先進諸国の人々にとって分かち合いの文化を基礎とするサモアの日常は心が和むのだろう。日本もかつてはそうだった。そのころがふと懐かしく、寂しくもある。


朝日新聞中部地方版より転載
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