「サモアで暮らす」 鳩山幹雄

9.我が家を変えたゆとり


壁の無い講堂で歌の練習する中学生
壁の無い講堂で歌の練習する中学生

 我が子四人が通う小・中学校は生徒が多く、長男のクラスも次男のクラスも六十人を超える。どの教科も授業は、 先生が説明しながら黒板に書く内容を、子供たちがせっせとノートに写すというパターンである。教科書は無い。

 土曜と日曜は休みで、平日も午後一時には授業が終わる。日本の詰め込み教育と比べればはるかに学ぶ量は少ない。子供たちは、野外で元気よく遊び、家事も手伝う。学業に対するストレスが少ないからか、陰湿ないじめは 影も形も無い。「○○さんもサモアの学校ならきっと通えるだろうな」と、長女は、登校拒否を続ける同級生のことを思い浮かべていた。

 教師は大半が女性である。我が子の担任もそろって女性だ。日本の中学では反抗的な生徒に泣かされる女性教師も多いという。実際に、女性教師が生徒に刺されて亡くなるという悲惨な事件も起きた。サモアには非行、校内暴力はないのだろうか。

 全般的に言えることは、サモアでは、大人は子供にとって絶対的な存在であり、学校でも教師に逆らう子は見かけない。授業中不まじめな子ももちろんいて、中学では目に余るようだと 教師がゴムホースでおしりをピシャッとやるという。これは体罰であり、問題に違いないが、しつけの安易な手段として、学校でも家庭でも許容されているらしい。

 子供たちの話を聞く限り、男性教師が感情に任せて力いっぱいぶん殴るといった光景は浮ばない。 激しい体罰を生徒が耐え忍んでいるようにも感じられない。日本とサモアでは環境があまりに異なり、学習内容も教育方針も単純な比較はできない。だが、試験の結果と内申書がすべてという 日本の教育はゆがみすぎている。

 家事の手伝いなど何一つせず、少しでも成績を上げてくれという親の期待を一身に背負い、遊びといえば個室にこもって家庭用テレビーゲーム機。これでいい。とはどうしても思えない。

 サモアに暮らすようになって、親子ともども時間的なゆとりが生まれた。日本では、おのおのが別の方向を見て暮らさざるを得なかったが、今は同じ景色に感動し、そろって食卓を囲み家族で同じ本を読む。つまり、我が家は同じ方向を見て暮らしている。


朝日新聞中部地方版より転載
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