【五大湖のふところミシガンで暮らす】
鳩山 幹雄  

キジの羽根をむしるB
キジの羽根をむしるB
英語クラスでアメリカ一周の思い出を語るB
英語クラスでアメリカ一周の
思い出を語るB
送別会で記念撮影
送別会で記念撮影



第22回 「逢うは別れの始め」というが……


妻の友人が韓国へ帰国

この1年間親しくしていた妻の友人Bが韓国へ帰国することになり、我が家で送別会を開いた。企画したのは妻ともうひとりの日本人で、Bともっとも親しくしていたM。

Bの夫のJは国家公務員で、2年間公費留学することになり、Bと子供2人を連れて2000年8月にミシガンにやってきた。我が妻とBとの出会いはコミュニティーセンターの外国人対象英語クラス。決して英語が得意ではないBだが、少ないボキャブラリーで自分の意志を相手に通じさせてしまうBの積極性とユニークな言い回しにいつも感心させられる妻は、英語クラスから帰宅するとほぼ毎回、Bのその積極性を家族に語って聞かせた。

また、住まいが近いことや、お互いの息子が同じ小学校に通っていることなども重なり、この1年間妻はBとの交友を深めてきた。我が子たちもB一家とは親しく、末っ子などはBの息子と遊んでいるついでに夕食までご馳走になったことも1度や2度ではない。息子が何も話さなくてもニンニクの匂いですぐにわかってしまう。

本場のキムチをご馳走になったことも幾度もあるし、妻はBから韓国料理を教えてもらったりもした。キジの調理を手伝ってもらったこともある。猟の好きな友人が、我が家に撃ち落としたままのキジを届けてくれた。頭も羽根もある、剥製のようなキジをどうしたら良いかわからずに途方にくれた妻は、「そうだ、Bに聞いてみよう。どうしたらいいか知っているかもしれない」といってBを訪ねた。するとBが「任せて。私がやってあげる。お母さんがやるのを見たことがあるから大丈夫」といって、湯をかけながら素手で羽根をむしりとってくれた。おかげでその晩の我が家はおいしいキジ鍋。

また、近所の公道沿いに立つ、たわわにおいしい実をつけるリンゴの木を教えてくれたのもB。積極的で親切なBのおかげでこの1年間我が家は変化に富んだ暮らしを送ることができた。

また会う日まで

B一家の帰国予定日まで1週間に迫った土曜日の夕刻、まずはMの夫Yがひとりで、飲み物とフルーツの詰まったクーラーバッグをさげてやってくると、開口一番、「家内は今日頭痛がひどくて来れないんですよ」。Yに遅れることほんの数分、B一家4人もやってきた。Jは通常韓国料理しか口にせず、食事にはキムチが欠かせないらしいが、妻の用意した料理はポテトやチキンなどすべてアメリカン。それでも嫌いというわけではないようで、日本人同様箸を巧みに使い、笑顔で食べた。

帰国直前の4人の感想はさまざま。韓国では高くてめったにできないゴルフを散々楽しんだJは、できれば帰りたくないようす。夜遅くまで残業や接待の続く日々と比べれば、いくら英語で勉強しなければならなかったとはいえ、この2年間はバケーションのようなものだったらしい。

「韓国の家族や友だちに会えるのは嬉しいけど、アメリカの暮らしも捨て難い」というBは、嬉しくもあり、悲しくもありという複雑な心境。引っ込み思案で友だちもできず、異国での生活をあまり楽しむことのできなかった小学6年生の娘は、「やっと帰国できる」と大喜び。その反対に、積極的で英語もわずか2年で何の苦労もないまで習得した小学3年生の息子は、できれば帰りたくないという。

別れ際にJが言った。「もし韓国に来ることがあればぜひ我が家に泊まってください。我が家は新国際空港から30分くらいですから。それにインチョン市は海辺なので新鮮な魚介類が楽しめますから。刺身もおいしいですよ」

いつの日か韓国にJとBを訪れることがあれば、きっと2人は空港で快く出迎えてくれるに違いない。2人の人柄にそんな歓待精神を感じた。



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