【五大湖のふところミシガンで暮らす】
鳩山 幹雄  

いつまでも片付かないガレージ(モノに溢れるガレージ)
いつまでも片付かないガレージ
(モノに溢れるガレージ)
妻のお気に入りのキッチン
妻のお気に入りのキッチン
子供部屋はジャングルのパノラマ壁画
子供部屋はジャングルの
パノラマ壁画



第25回 引っ越しはもうご免


1年前は十分満足だったのに……

ミシガンに暮らしてわずか1年なのに、もう引っ越しを体験した。昨年の夏、サモアから越してきたばかりの頃は、一家6人には決して十分と言える広さではないが、3LDKの住居に家族の誰も文句はなかった。インターネットは24時間いつでも利用でき、テレビは40チャンネル楽しめ、そして敷地内にはバスケット・コートもあり、芝生が広がる広大な庭があり……という、それまでのサモアの暮らしと比べれば数段進歩した生活環境に満足していた。

サモア時代の我が家といえば2LDKで、子供たち4人は14畳ほどの大部屋に雑魚寝。それでも子供が個室を持つことなどほとんど皆無という社会では、それが不満のタネになるということはなかった。首都アピアをちょっと離れれば、壁のない開けっ広げのファレと呼ばれる伝統的家屋にゴキブリ、蚊、蠅、ヤモリとともに寝起きし、炊事は薪、洗濯は手洗い、風呂は共同の泉で水浴という、まるで毎日がキャンプのような生活が庶民の日常。そんな社会で、壁も戸もあり、窓には網戸もあり、バスルームは屋内で湯のシャワーが浴びられるという、平均と比べればかなり恵まれた暮らしだったのだから、そこそこ満足だったはず。

だが、暮らす社会が変われば価値観も当然変化する。4年ぶりに個室を確保できた娘は、好みのカーペットを敷きポスターを壁全体にちりばめ、ぬいぐるみをいくつも飾り……と、女子高生らしくインテリアに興味を示し、息子たちは真ん前に広がる公園さながらの芝で野球やサッカーをしたり、自転車を乗り回したり、コンクリートの歩道や駐車場ではスケートボードを楽しみ……と、アメリカ流の余暇を過ごした。

いつの間にかモノにあふれる暮らしに

ミシガンでの暮らしに慣れるにつれ、子供たちの社交の幅も広がった。友人の家庭を訪ねたり、ホーム・パーティーに誘われたりで、アメリカ文化に馴染むとともに友人たちの恵まれた生活環境を垣間見るにつれ、子供たちの発想も徐々にアメリカ基準に変化してきた。

気兼ねなくエレキを弾きたい長男は「地下室がほしい」、深夜まで起きている長男と同部屋で寝つかれない次男は「自分の部屋がほしい」、トイレを待たなければならないことのよくある末っ子は「バスルームが2ついる」と、それぞれ好き勝手を言うようになった。

子供たちの我がままな願望に耳を貸すつもりはない。だが、知らず知らずのうちに増える生活道具が居間を占拠し、そして訪問者が頻繁になるにつれ、満足だったはずの住居が確かに手狭に感じるようになり、そしてとうとう引っ越しを決断。

学区を変わるつもりがあるのなら選択は広がるのだが、子供たちはみな、いくら生活環境が向上したとしてもせっかく馴染んだ学校を変わりたくはないというので、同一学区内に新居の物色を開始。ところが、いざ引っ越すとなったら、妻も「キッチンには窓と換気扇は不可欠」、長女は「学校の近くがいい」、末っ子は「広い庭がほしい」……と、さらに注文が増えてしまい、新居探しは難航。瞬く間に3カ月が経過。結局何十もの物件を吟味した結果、なんとか妥協できる住まいを見つけ、引っ越しが実現。

家族全員の要望がすべて満たされるわけではとうていないが、長女、長男、次男の3人は高校から徒歩3分という立地条件に「これで遅刻の心配もないし、スクールバスに乗らなくてもいいから嬉しい」と喜び、妻は大きな窓のある使い勝手の良いキッチンに大満足。

それにしても、想像以上に大変な引っ越し作業には妻と2人、まさに閉口。わずか1年でよくもこれだけモノが増えるものだと感心するほど。自分で購入したモノなど大してないのに、衣類、食器、家具など、「余っているから、良かったら使って」といって親切な友人が届けてくれたりして、いつのまにかモノにあふれる生活に。サモアでは、モノに溺れないシンプルな暮らしが簡単に実現できた。今でも気持ちは変わらないのだが、「日本に優るモノあまりの国アメリカ」では、シンプルに暮らすことは想像以上に難しい。

まだ中身の詰まったままの段ボール箱がいくつも積み上げられたままのガレージに目をやるたびに、妻の口から出るのは「もう引っ越しはイヤ」。 確かに妻同様、できればもう引っ越しは考えたくない。でも、子供たちの成長に応じ、できる範囲で望ましい環境に暮らせたらと考えると、今後もまだ引っ越しを繰り返すことになるのだろうか。



HOME:::INDEX:::NEXT