【五大湖のふところミシガンで暮らす】
鳩山 幹雄  

今回の旅のルート。ミシガン州の約中央に位置する我が家からオハイオ州のSの家までは距離にして約500km
今回の旅のルート。
ミシガン州の約中央に位置する
我が家からオハイオ州のSの家
までは距離にして約500km
雪景色のなか、オハイオを目指す
雪景色のなか、オハイオを目指す
S一家と記念写真(2000年1月)
S一家と記念写真(2000年1月)



第34回 運命的出会い、そして3年ぶりの再会 …オハイオ紀行−1


出会いは5年前…サモア時代の思い出

休日を利用して、一家でオハイオ州に暮らす友人S一家を訪ねた。オハイオ州はミシガン州の南東に隣接し、北辺には五大湖のひとつのエリー湖が横たわる。観光よりも、ミシガンとの州境のトレド市やエリー湖畔のクリーブランド市など、工業都市で知られるようだ。

サモア人Sとの出会いは話せば長い。サモアに暮らし始めて半年ほどが過ぎた98年初頭、日本からの来客の迎えに家族でファレオロ国際空港に出向いた。同様に来客の出迎えに来ていたSは息子たちに日本語で話しかけ、我々を驚かせたが、その場はニ、三言葉を交わしただけで、お互い名前も知らないまま別れた。

ところが、2週間ほどして来客の見送りに空港へ出向くとそこに再びSが現われた。空港でSと出会うという偶然が、なんと4度も続いた。何度も連続する偶然は必然に思えてくる。普通に暮らしているだけで、出会うべき人物とは出会うようにできている、サモアの不思議な引力の存在を実感した。

4度目にはお互いの連絡先も交換、我が家とSとの交友が始まった。Sはサモア語と英語に加え、奨学金を得て日本に留学していたため日本語を流暢に操る。その技能を活かしてサモアに進出している日系企業に通訳として就職した。まもなくSの両親、兄弟親類等、Sの家族一同とも知り合い、街で出会えば立ち話をしたりという機会も増し、家族ぐるみの友好は深まった。

ところが、半年ほどするとSはサモアを去ることに。日本を数週間訪ねた後、アメリカに渡った。Sはいなくなっても、Sの両親や兄弟とはその後も街で出会えば言葉を交わす程度の交友は続いた。

働き続ける不思議な引力

ミレニアムがあと数日に迫った年末のある日、妻と2人でSの噂話をした直後、街でバッタリSと出会った。再びあの不思議な引力が働いたらしい。

「あれっ、アメリカにいるんじゃなかったの?」

「はい。今はコロラドに住んでいます。でも、2週間里帰りしました。フィアンセを家族に紹介するために」

といって、寄り添っていた小柄な金髪美女を紹介すると、笑顔で続けた。 「挙式は6月にコロラドで予定しています。招待状出しますから、ぜひ出席してください」 数カ月後、その言葉通り招待状を受け取ったが、アメリカまで旅するゆとりはなく、残念ながら辞退。その後はEメールで時折近況を報告しあった。

そしてさらに1年後の2001年の夏、今度は我が家がアメリカに移ることになった。確かにお互いの距離は縮まったが、それでもミシガンからコロラドまでは車で最低3日はかかる。おいそれと出かけられるほど近くはない。「そのうち会えたらいいね」と言いつつも時折Eメールを交わすだけの月日が流れた。

2002年が始まって間もなく、「来月オハイオに引っ越すことになりました」とSから電話が入った。今度はSが隣の州まで越してきた。わずか500キロにまでお互いの距離は縮まったのだから、なんとか再会を目指したい。そして双方の休日が重なった今回、とうとう再会の実現を目指して車を走らせることに。

まずはコンピュータで道順、距離、所要時間…をチェック。我が家からオハイオの州都コロンバスの北東170kmに位置するS宅までは高速道路をノンストップで走っても最低6時間かかるようだ。なんとか日没前には到着したい。結局準備に手間取り、予定より1時間遅れの午前10時に出発。Sとの3年ぶりの再会を目指して一路南へ車を走らせた。



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