【五大湖のふところミシガンで暮らす】
鳩山 幹雄  

お世話になった美術の先生と記念写真。左の着物姿は日本からかけつけた祖母
お世話になった美術の先生と
記念写真。左の着物姿は
日本からかけつけた祖母
卒業式会場は卒業を祝う家族で満杯
卒業式会場は卒業を祝う
家族で満杯
式後も青空の下でなごり惜しんで語り合いが続いた
式後も青空の下でなごり
惜しんで語り合いが続いた



第43回 長女が晴れて高校卒業(後編) 〜卒業式は五月晴れ


日本から祖母と叔母も駆けつける

日曜日の午後の卒業式は久々の晴天。昨日の嵐のような悪天候からは想像もできないほどの青空が広がり、最高の卒業式日和になった。 家族に加え、娘はこの卒業式に合わせて一昨日はるばる日本からやってきた祖母と叔母からも祝福された。2人から祝儀を受け取った娘は満面に笑みを浮かべた。ティーンエージャーにとって現金に勝る贈り物はない。

卒業式会場は地元の州立大学の体育館。2年ぶりにスーツを着て、開式の10分ほど前に家族全員で会場に到着。広大な駐車場はほぼ満車状態で、かなりの距離を歩く羽目になった。会場内もやはり満杯。ひとりの卒業生に対して最低5、6人は家族が駆けつけているに違いない。

背もたれのある席は空きがないので仕方なく踏み台のようなベンチに腰掛けた。スーツ姿にはちょっと不釣合いだが仕方がない。着物姿の母やスーツ姿の妹にはちょっと申し訳ない気がしたが、我慢してもらうしかない。あたりを見回すとネクタイ姿もあるにはあったが、ジーンズや短パンという、あまりにカジュアルな姿で平然としている観客も大勢いた。「いつのまにかフォーマルな席にもジーンズ姿を見かけるようになってしまった」と嘆く友人の言葉がふと頭に浮かんだ。

まもなく高校の合奏部の演奏で式が始まった。濃紺のガウンを羽織り、房のついた四角い帽子をかぶった卒業生が、左右の入り口から入場。偶然入り口近くに腰掛けたので、娘が真横を通り過ぎた。ふとロビン・ウイリアムズ主演の映画「パッチアダムス」のラストシーンが思い出された。

別れを惜しんで記念撮影

卒業生が全員席に着き国歌合奏が終わると、卒業生代表、校長、ゲスト等のスピーチが続いた。そして卒業証書授与が始まり、一人ひとり名前を読み上げられた生徒が壇上にあがった。人気のある生徒は名を読み上げられると会場から歓声が上がった。ピーピーと指笛を鳴らす観客もいた。厳かな雰囲気などかけらもない。

全員が卒業証書を手にして席に戻ると、「では帽子の房を左側へ移してください」というアナウンスに従い、起立した生徒たちは一斉に帽子の房を右から左へと移した。「これであなたたちは正式に我が校の卒業生です」という校長の言葉に歓声が重なった。この儀式のために、帽子の房はあるようだ。

卒業生が再び列をなして退場すると、ざわざわと観衆も外へ流れ出た。卒業とともにこの地を去る者もけっこういるらしく、青空の下で卒業生たちは別れを惜しんで記念写真を撮った。あちこちで同性異性構わず抱き合って写真に収まる姿が目に入った。娘も友だちとの記念写真撮影に忙しく、結局30分ほど卒業を喜び祝う親子を眺めながら娘が戻るのを待った。 家族写真をとる姿も目に付いた。小学校や中学校では卒業式を行なわないし、また大学に進む者ばかりでもないので、高校の卒業式は、おそらくアメリカ人にとっては、かなり意義のある行事なのだろう。

はるばる日本からやってきた祖母は、卒業祝いにレストランで食事でも、と思ったようだが、この日はすでに以前から夕食に招待されていたので、卒業式を終えるとその足で郊外に暮らすL夫妻宅へ向った。その友人宅でも、L夫妻とL夫人の母親の3人から卒業祝いを受け取り娘は大喜び。

L夫妻にも我が家同様、子どもが4人いた。だが14歳の末娘を交通事故で亡くしている。無事高校を卒業した我が娘を笑顔で祝うL夫妻のまぶたには、若くして逝ってしまった娘の在りし日の笑顔が今なお鮮明に焼き付いているに違いない。 今この瞬間にも地球のあちこちで不運にも幼い子どもを亡くし涙に咽(むせ)んでいる親が数多くいる。我が子の卒業式を笑顔で祝うという平凡な日常が、十分感謝に値することを忘れかけていた。



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