25年前、3人の留学生と 共同生活を送った想い出の 家の前でポーズをとるマイク | ミシガンで偶然の再会 (左からディパック、ファアマテ 、クリフ、筆者) | ディパック、クリフ、ファアマテ とともに、かつてこのキャン パスで学んだ |
これほど早く再会できるとは
サモア人の親友ファアマテとミシガンで再会した。昨夏サモアを離れる時点では、少なくとも向こう数年は再びファアマテと顔をあわせる機会はないだろうと思っていたが、意外に早く再会の機会が訪れた。それにしても、それが2人の出会いの地ミシガンになろうとは想像もしなかった。 95年2月、ファアマテは長年務めたサモア国総理大臣秘書官の職を辞任し、神学校へと進んだ。そして4年後、牧師として新たな人生を歩み始めた。5人の子をもつ妻帯者が、総理大臣秘書官から牧師へと、40代半ばにしてたやすく人生の進路を変更できてしまうあたりが、終身雇用のような堅苦しい発想など微塵もないサモア人ならでは。 ファアマテは、今回、所属するプロテスタントの牧師グループのアメリカ研修旅行に夫婦で参加。研修先はカリフォルニア州とユタ州だったが、研修後ファアマテ夫妻のみ一行から離れて古巣ミシガンまで足を伸ばした。ファアマテのミシガン訪問は、トフィラウ総理大臣に同行して94年にカナダを訪れた際に立ち寄って以来7年ぶり。奥さんのシーナは初めて。 さらに四半世紀ぶりの再会 ファアマテとは1970年代中頃、このミシガンでお互い留学生同士苦楽を共にした。一緒にアルバイトに励んだこともあれば共同生活を送ったこともある。 遡ること25年、1977年1月には、ファアマテに加えて当時大学で英語を教えていたミシガン出身のマイクとインドの裕福な商人の息子ディパックとともにキャンパスから徒歩5分にある一軒家を借り、4人で共同生活を始めた。 4LDKだったのでそれぞれが個室を確保できたが、居間、キッチン、浴室は共同。ひとつ屋根の下で4カ国の文化が入り乱れるというなんとも奇妙な日々を送った。毎日のようにチキンカレーを自炊し「インドに戻ればお母さんがすてきなお嫁さんを見つけてくれる」と語るヒンズー教徒のディパックとの日々は、とくに発見の連続だった。 ファアマテ夫妻とはマイク宅で再会。そこへもうひとりの共通の友人であるクリフが訪ねてきた。運転席から降りるとクリフが言った。 「今日家を出る直前に偶然友人が訪ねてきたんで一緒に連れてきたよ」 その直後、後席のドアが開いてひとりの中年男性が降り立ち、こちらに笑顔を見せた。頭がすでにかなり薄くなりいっけん別人のようでもあったが、紛れもなくディパック。家業を継いで以来カルカッタで相変わらず経営者として辣腕を振るっているらしいが、今回ミシガン大学に留学することになった18歳の長男に付き添ってミシガンにやってきたという。母親の見つけてくれた伴侶との生活は順調のようだ。 それにしても25年ぶりのこの偶然。お互い連絡を取り合ったわけでもないのにそれぞれが母国から1万数千キロも離れたこのミシガンで、まるで磁石に引き寄せられる砂鉄のように4人が集まるとは。 人生に運命的な出会いが何度かあるとすれば、マイク、ファアマテ、ディパックの3人との出会い、再会は、まさしく運命的と言えるにちがいない。
当時の留学時代のエピソードをコミカルに記した拙著
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